Life of Yeoman Warders -ロンドン塔のビーフィーター

ヨーマンウォーダー=ビーフィーター

日本だとヨーマンウォーダーはビーフィーターの名前で親しまれています。何故「BEEFEATER」(牛肉を食べる人、と呼ばれているかは定説がありませんが、有力なのは、、、。

  • チューダー王朝時代(15~16世紀)、牛肉は貴重なものであり、バンケット(晩餐)で振舞われたその残りを彼らが食べていた?

  • お給料の代わりに貴重な牛肉が支給されていた?

  • フランス語の「BUFFETIER」(給支担当)に由来?ヨーマンウォーダーの組織の基礎を確立したヘンリー7世は毒殺を恐れ、彼らに毒見を担当させたため

Henry 7 (crowned 在位 1485ー1509)

その起源

その起源は1485年にヘンリー7世が王の側近の精鋭ボディーガードである親衛隊を設立したのが始まり。ランカスター家の血を引くヘンリー7世といえば、ヨーク家のエリザベスと結婚し、30年に及んだ薔薇戦争に終止符を打ってチューダー王朝の創始者として知られています。しかしながら常に懐疑深く、玉座の死守に必死でした。と言うのも、ヘンリー7世の王位継承権は希薄で、彼は常に裏切りと暗殺を恐れていたため。自身はヘンリー6世の甥ではあっても、その父ヘンリー5世からの血筋ではなく、未亡人となったヘンリー5世の王妃と浮気相手との間に生まれたのがヘンリー7世の父であったため。

そして、息子のヘンリー8世は、ロンドン塔は王の精鋭隊によって護られるべきだと主張し、1509年に12人の護衛隊を王宮としてのロンドン塔に配置しました。現在の主な役割は年間行事や特別な儀式に関するものも多いのですが、ここに、ヨーマンウォーダーの母体が設立された事になります。

 

ヨーマンウォーダーになるには?

観光客の質問に応じるヨーマンウォーダー。女性も活躍してます。

ワーテルローの戦いでナポレオン軍を破った、アーサー·ウェリントン、初代ウェリントン公爵は1826年、ロンドン塔の城主(コンスタブル)に就任しました。

ウェリントン公爵はヨーマンウォーダーがロンドン塔に悪い評判をもたらしていると考え、彼らの振る舞いを改革し始めました。そして彼はヨーマンウォーダーは長年の軍務経験と良好な行動記録を持つ退役軍人のみが採用されるべきだと宣言し、その数を約100人から僅か33人に減らしました。

ウェリントン公爵の改革は今日でも有効。

現在のヨーマン·ウォーダーは少なくとも22年間の軍務経験を持っており、彼らは一等兵曹に昇進し、長期勤続と良好な行いに対するメダル(勲章)を授与されていなければなりません。誰でもなれる訳ではないのですね。年により前後はあれ、大凡35人前後のヨーマンウォーダーが家族と共にロンドン塔に住んでいます。

 

以前ご案内した、タワーグリーンはヨーマンウォーダーのコミュニティの中心。パブ、病院、教会と全て彼らのために用意されています。

 

紺OR赤?制服の違い

彼らが着用している濃紺の制服は「アンドレスド·ユニフォーム」と呼ばれる日常着。耐久性があり、通気性にも優れています。現在、彼らは「CR」という文字が正面から見受けられ、チャールズ国王のCとラテン語のレックス(君主の意味)Rの組み合わせとなります。

特別なイベント時には、赤と金色の「ステートユニフォーム」と呼ばれる正装の制服が着用されます。戴冠式、年間行事、葬儀、など、式典の時のみ使用されます。ヨーマンウォーダーの正装は、その名も「ビーフィーター」と言う銘柄、ジンのラベルとしても使用されています。彼らの誕生日にはそれぞれジンのボトルが贈られます。

 

ヨーマンジェイラー/かつての囚人の監視役

その昔、有罪判決を受けた囚人たちはウェストミンスターからボートに乗せられ、ロンドン橋の下を通り、ロンドン塔へと向かいました。橋の下で見たものは自分の運命をも予感させる、身体のない串刺しになった囚人たちの頭。

彼らはどんな思いでロンドン塔に到着したのでしょう?「裏切り者の門」と呼ばれるゲート付近では鋭い斧を持ち、ボートで待ち構えるヨーマンジェイラー。一説によると、その斧が囚人の方を向いているとロンドン橋の囚人と同じ運命を辿る??つまり打ち首にあう運命。斧がジェイラーの方を向いていたら、個人はロンドン塔で囚人として生活をすると言われてました。

今でもその名残で、ジェイラーの杖の先には鋭い斧が形どられています。

最後までご覧いただきありがとうございます。

 
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