Pubs in Wapping〜ワッピング・ローカルパブ

前回に続き、ワッピング特集。今回は周辺パブについてお届けします。

タワーヒル周辺の外せないパブがセント・キャサリンドックにあります。-ディケンズ・イン、19世紀の文豪、チャールズ・ディケンズの曾孫であるセドリック・チャールズ・ディケンズによって1976年にオープン。

St Katharine Docks(セント・キャサリンドック)とは?

この敷地は以前、マチルダ女王によって12世紀に設立された貧しい人々のための病院、セント·キャサリンズ·バイ·ザ·タワーがあった場所で、この辺りの地名に由来。16世紀のヘンリー8世の修道院解散や17世紀の清教徒革命の際も崩壊を免れ、場所は移転したものの、現在もセント·キャサリン王立財団として現在でも東ロンドンに拠点をおいています。

セント·キャサリンズドックは、世界中からロンドンに入港する商船の増加に対応するため、1828年にオープン。スコットランドの著名なエンジニア、トマス·テルフォードによって設計されました。敷地から掘り出された土壌は、西ロンドンのピムリコ地区や、ベルグレイヴィア地区の湿地帯に新興住宅地を開発する際の土台として使用されました。

ここで扱われた商品は象牙、香辛料、貝殻、砂糖、ゴム、ワイン、香水、大理石などの高級品に特化。そのため高い壁で囲まれていました。多くの5、6階建ての倉庫は水に近い場所に建てられ、貨物は船から直接クレーンで積み下ろしや運搬がされたため、海上ギャングによる盗難のリスクを減少させました。

しかしながら他のロンドンのドックと同様に、セント·キャサリン·ドックも1960年代から導入されたコンテナ化に対処できず、大型船を収容するには不向きであったために衰退。1968年には閉鎖され、他の全てのロンドンのドックも1980年までに閉鎖されました。

今日では、ヨットやクルーザーのマリーナとなり、周辺には高級マンションやお洒落なレストランも増え、活気を取り戻しています。


 

いざ、パブ巡りへ!Pub Crawl in Wapping!

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いざ、パブ巡りへ!Pub Crawl in Wapping! 〰️

茅葺き屋根と木骨の趣のあるディケンズ·インは、タワーブリッジのすぐ横のセントキャサリンドックに位置しています。元々は紅茶会社か地元のビール製造所の倉庫として18Cに建てられたものが、1976年に文豪チャールズ·ディケンズの曽孫によてパブとして生まれ変わりました。上階にはグリスレストランもあり、シーンに応じて楽しめます。

ここを起点に、特に東ロンドンのパブ好きだったディケンズの足跡を辿ってみるのも良いですね!wappinng high street を東の方に向かいます。

2. Town of Ramsgate(タウンオブラムスゲート)

オリジナルのパブは1460年代の薔薇戦争の頃に存在していたという話もあるが、定説では1545年にオープンしたレッドカウというパブが元になっています。ラムズゲートの街はロンドンの南東、ケント州の海沿いにある港町。

そしてパブの脇にあるwapping old stairs というこの階段。ここを通った絞首刑好きの悪名高い裁判官が、ジョージ·ジェフリーズでした。彼はプロテスタントでありながらカトリックのジェームズ2世に仕え、国王を退位させようというプロテスタントたちの弾圧にあたっていました。1685年にプロテスタントの不満が極限に達し、モンマスの反乱が勃発。反乱は鎮圧され、関与した1400人以上は裁判にかけられ、300人以上がジェフリー裁判官により絞首刑を言いわたわれ、さらには800人以上人は奴隷として新天地、ジャマイカやケイマン諸島に送られました。

結局のところ1688年の名誉革命でカトリックのジェームズ2世は失脚。プロテスタントのメアリー2世とウィリアム3世の共同統治の時代に入ります。

今まで散々プロテスタントを迫害したジェフリー裁判官。船乗りに変装して国外に逃げようとしていた際、最後に酒場で一杯、、なんて誘惑に負け、ここで飲み物を買おうと階段を登ろうとしていた矢先に変装を見破られ、捕まりました。そして、ロンドン塔に投獄され、数年後に肝疾患のために亡くなりました。

3. Turner’s Old Star(ターナーズオールドスター)

イギリスが誇るロマン主義の画家、JMWターナー。ロンドンはコベントガーデンの床屋、鬘職人の息子として1775年に生まれる。幼いから天才と謳われ、数々の名作を残したものの、気難しい性格で生涯独身を通じたターナー。それでも愛人の姿は絶えず、中でも、1833年に出会ったパギー·ブースとはターナーが亡くなるまで人生を共にしました。

ターナーがワッピングに購入した建物をパブとして改装し、ブース夫人を経営者として任命し、「THE OLD STAR」と名付けたのがこの店の始まり。1987年に彼に敬意を表し、「TURNER’S OLD STAR」と改名。とてもアットホームな雰囲気のパブで地元感が漂います。

ビールを買おうとカードを使おうとしたところ、一定額に達しなかったためカードが使えずおろおろしていると、後ろに並んでいたイギリス紳士が私の分も購入してくれました。こういうところが日本にはないイギリスの良いところ。

ターナーの自画像はテートブリテン、イギリス人の最も愛するターナーの「戦艦テメレール号」はナショナルギャラリーにあります。どちらも20ポンド紙幣の裏面に印刷されてます。

4. The Captain Kidd (キャプテンキッド)

もともとは19Cのコーヒーを収める3階建ての倉庫だった場所。お店の名前は、イギリスで最も不幸な運命を辿った海賊(もしくは全く海賊ではなかった!?)、ウィリアム·キッド船長に因んで付けれれました。キャプテンキッドの名前の方が知られてますね。最近ではアニメの「ワンピース」でもキャラクーが取り上げられています。キャプテンキッドは実在の人物!キッドが「隠した」とされる財宝も話題になり、スティーブンソンの「宝島」やエドガー·アラン·ポーの「黄金虫」の題材としても取り上げられています。

キッドは1654年にスコットランドで生まれ、初めは私掠船長となり、国家によって敵艦を攻撃することが許可されていました。国家勅令のターゲットを襲う分には公式な活動として認可されていたが、キッドの部下たちは手当たり次第に船を襲い、実際に「海賊」として成り下がってしまうものも多くいました。

キッドがカリブ海にいる最中に規則が変更され、部下にもパトロンにも裏切られた彼はその後逮捕され、イギリスに連れ戻されて1701年にワッピングのエクセキューションドックで絞首刑にされました。不幸にも最初のロープが途中で切れたため、2度絞首刑にされなければなりませんでした。さらに、そのあと彼の遺体はタールで塗られ、吊るしケージに入れられ、見せしめとして3年間も別の場所で吊るされたのです。

海賊になる気もなく、おそらく自分が海賊だとも思っていなかった不幸なキッド。テムズを眺め、彼を思いながら静かな店内でゆっくりするのも良いですね。

5. Prospect of Whitby (プロスペクトオブウィットビー)

締めのパブはここ、ワッピングのオーバーグラウンドの駅からそばの、プロスペクト·オブ·ウィットビー。昔この辺りにしばらく停泊していた船の名前に由来します。壁の歴代国王の名前を見ると、1500年代のヘンリー8世から現チャールズ国王までの君主に従事したとのパネルが。

これが本当なら、この辺りで一番古いパブということになります。

窓ガラスを見ると、昔ながらの製法がそのまま残っているのがわかります。当時はガラスを平らにするという技術がなかったため、厚みがあり、中央部には突起が残っています。

画家のJMWターナー、日記作家のサミュエル·ピープス、文豪チャールズ·ディケンズなどはこのパブの常連でした。現在はグリーンキング系列のパブとなっています。

よくある質問。パブって一人で入れますか?ー入れます。

女性一人で大丈夫?ー時間調整でカフェ感覚でよく行きます、おひとり様で。

私は昼間のまだ明るいうちに川沿いのパブでのんびりするのが大好きです。空いてるし。地元のパブに行くと、注文せずともいつものビールが出てきたり。ロンドンって素晴らしい。

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